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2006.5.31 

4月24日放送の朝鮮語ニュース「シカオゼ・ソシク」より  音声ファイルは「しおかぜ通信」へ

 北朝鮮の聴取者のみなさん、こんにちは。私は1968年8月26日、黄海北道シンゲ郡ヘッポ里で生まれた安明進です。私は軍人の家庭に生れ、沙里院外国語学院と江原道元山市にある元山外国語学院で8年間英語を専攻した後、1987年3月5日から1993年5月20日まで、平壌市龍城区域にある当時朝鮮労働党中央委員会直属政治学校、今の金正日政治軍事大学で6年以上スパイ教育を受けてきました。その後、1993年8月30日、朝鮮労働党作戦部の任務を受け南朝鮮の京畿道ヨンチョン郡テマ里に浸透をしました。

 普段、北朝鮮でスパイ教育を受けながら南朝鮮の様々な実情を学ぶことになり、それを通して南朝鮮の自由な資本主義に憧れ、この機会を利用して南朝鮮に帰順することになりました。もちろん、金正日政治軍事大学で北朝鮮住民が飢えてボロを着ているとき、誰よりも多くの恵沢と特権を享受してきましたが、それに感謝する気持ちはありませんでした。

 南朝鮮に来て、自分の命を捧げて金正日や金日成に忠誠する人々の代価がこの程度では合わないのではないかというのが私たちの一般的な思考方式でした。しかし、いくら多くの人が莫大な予算を使って党資金を使って南朝鮮を金日成主義化、共産化しようと努力しても結局今日北朝鮮の経済は南朝鮮に比べることも出来ないほど破綻にして、北朝鮮社会は全世界から孤立し、最も人権が認められない、政治的にも最も悪辣な反人民的社会であることが広く知渡っています。北朝鮮住民だけが金正日独裁体制下で目をふさがれ、耳を塞がれ、口をふさがれた状態で暮らしており、外部世界を見ることができずにいます。

 しかし、時間がたつにつれ中国を通し、南朝鮮からの金剛山に来る数多くの観光客を通し、南朝鮮の発展した実情、そして国際社会の自由で活動的な発展した状況が少しずつわが北朝鮮人民に知られています。遠からず金正日独裁体制は外部から絶え間なく入ってくるこのような文化的影響によって最後を迎えるでしょう。

 しかし、より早く金正日軍事独裁体制を崩壊させ、北朝鮮人民が自由で幸せな生活を保障しようとするなら、外部からの文化的影響を待っているのではなく、私たち自身が闘い、努力して自由と幸福を保障されなければなりません。私自身、金正日政治軍事大学という、北朝鮮で最も悪らつな機関で想像もできないような各種特殊訓練を受け多くの経験をしてきました。

 そういった経験は人間としてはおよそ必要もない経験でしたが、金正日独裁体制は南朝鮮を人民の国家ではなく、  自分が統治、麾下におくために、少なくない青年を死に到らしめています。今この瞬間もも青年達が、誰よりも聡明で未来が明るい、そんな青年達が朝鮮労働党5課に選抜され、平壌で人知れず特殊訓練を受け、死んでいっています。私自身も金正日政治軍事大学で6年間余の訓練を受けていた間、23人の同僚を失いました。

 北朝鮮住民も知っていることでしょう。朝鮮労働党3号庁舎へ召喚され行くときは、ご両親から子供を国家に捧げることになり、そこに入れば外部の一切の消息も伝えることができず、ご両親との面会もなく、党と国家に命をかける、それで自分たちの身分が終わることをご存知でしょう。

その理由が何か分かりますか。それは北朝鮮で現在、想像できないほど、あらゆる特殊訓練や死に到る訓練をまさに金正日政治軍事大学でさせているからです。
 私も今の瞬間にも眠っていて驚くことが多いのです。私の同僚が死んでいく姿が今も目に浮かびます。訓練のとき、人間としてはしてはならないことをしてきた場面が今も目に浮かびます。まさに平凡な人間社会ではあってはならないことをまさに秘密機関である3号庁舎所属金正日政治軍事大学で行われています。

皆さんのお子さんが勉強ができ、今後すばらしい人となることを両親が望む心と異なり、本人の意思とは別に朝鮮労働党5課に召喚され、金正日政治軍事大学という工作員養成機関でスパイとして要請され、 韓国でいつ死ぬかもわからない、そんな運命を持たなければならない多くの人はどんな罪があってそんな訓練を受けわねばならないのですか。
 それはまさに北朝鮮で人間としての初歩的な自由と人権が保証されていないからです。私たちは金正日独裁体制下で不平の一言も言えず、身体を動かすことすらまともにできないからです。

 聴取者の皆さん、私たちも人間です。人間は誰も生れるときもっとも初歩的な食べる権利、着る権利、話す権利、聞く権利を持って生れてきます。しかし、私たちは北朝鮮で生まれたという理由だけで、話す権利、食べる権利、着る権利、聞く権利が完全に無視されたまま、人間以下の生活を強要されています。 

 1995年から97年の北朝鮮における食料難のとき、どれだけ多くの人が飢死にしたでしょう。自分の周辺で、自分の村で、隣りの家で飢死にした人をごらんになったと思います。20世紀が過ぎ、今や21世紀に入っている今、人間が餓え死にするという状態が、世の中のにどこにありますか。こんな社会のために少なからぬ青年たちが命を捧げて金日成、金正日万歳を叫んで死を選ぶというのはいかに愚かなことでしょう。

 そしてその結果が、南朝鮮を赤化統一できましたか。そうではありません。
 今日南朝鮮社会は世界11位、12位の経済先進国として発展し、かえって北朝鮮を食わせています。南朝鮮から多くの食糧や経済支援物資が入っており、日本を初め米国、全世界から多くの支援物資が北朝鮮人民に送られています。

今日金正日独裁体制は核兵器という白昼強盗のような武器を振り回して国際社会の平和を脅かし、その代価で食っているのです。本当にわが民族の自尊心と名誉を毀損する、ならず者、ヤクザのような行為にも関わらず、その結果で食べていくのはどれだけ恥ずかしいことでしょうか。

だからといって、住民は結果としてご飯を食べられますか、スープを飲むことができますか。その対価はわが住民を食えなくするため、軍隊を食わせ、保衛部を食わせ、安全部を食わせ党のイルクンを食わせているのです。すなわち、ヤクザのような行為の結果でわが朝鮮人民だけがさらに苦痛の中にいるのです。

外部支援はいりません。わが人民は今や起ち上がるときです。黙っていれば明日、明後日、1年後に私たちの子供たちが餓死し、兄弟が銃によって殺されるでしょう。
今は我慢しているときではありません。起ち上がりましょう。闘いましょう。

飢死にすることより、弾に当たって死ぬことより、殴られて死に、凍死ぬことより、闘って死ぬことがさらによほど自分のため、民族のため、祖国のためになることでしょう。
ありがとうございます。


2005.8.24

■金正日の指示が貫徹されたソウル

 以下引用するのは最近の幹部講演資料(内部文書、朝鮮労働党出版社)「歴史的な6・15北南共同宣言発表以降、南朝鮮で大きな変化が起きていることについて」の基本内容です。この資料では、

「歴史的な6・15北南共同宣言(以下共同宣言)の採択から数年が過ぎた。共同宣言の発表は我が民族の祖国統一の偉業に重大な転換的局面をもたらす歴史的な出来事として、日に日にその正当性と有効性が大いに発揮されている。偉大なる将軍様が準備して下さった歴史的な共同宣言が発表された後、南朝鮮では劇的な変化が起きている」

 と述べ、2000年6月15日以降、対南赤化統一路線がいかに貫徹されているかを指摘しています。

「最近、南朝鮮では人民が我々を支持して同調しており、反米機運がいっそう高まっている」
という金正日の言葉を前提としたこの資料は、
「まず、南朝鮮人民の中から偉大なる将軍様に対する称賛の声がいっそう鳴り響いており、我々を支持しようとする機運が日々高まっている」
と力説しています。また、
「かつて南朝鮮で、敬愛する将軍様の偉大性の宣伝はほとんどが非合法的に行われていた。宣伝することがあるとすれば、一部の出版物に白頭山三大将軍(金日成、金正日、金正日の生母である金聖愛)の肖像画を掲げる程度に過ぎなかった。それ以外に偉大性を宣伝することは南朝鮮傀儡当局の第一の弾圧対象になっていた。しかし、歴史的な共同宣言が採択されて以来、合法的に行われている。現在では年間に、出版、報道に千枚以上の白頭山三大将軍の偉人像が掲げられ、偉大性についての記事は数千件が掲載されている」
と伝えています。

○朝鮮労働党対南事業部の話は真実だ

 資料が主張する通り、韓国では、

「今やマスコミ各社は、既に公開された偉大なる将軍様の映像や偉大性の資料を紹介するのでは満足できず、自ら取材団を編成し中国東北地方などへ出かけ、白頭山三大将軍の革命史跡資料を新たに発掘し、広く紹介、宣伝している」

 という状況です。実際にソウル特別市城東区龍踏洞に本拠を置く「自主民報」(www.Jajuminbo.net)というサイトでは、光復(訳註・日本からの独立)60周年記念特集コーナーを設け、「金正日将軍、百戦百勝」という荒唐な作り話を連載中です。

○偉大なる将軍様が金大中に会ってやった徳

 資料は続けて、

「偉大なる将軍様が金大中に会ってやった時でさえ、大学では共和国の国旗掲揚が弾圧の対象となっていたのに、今や釜山と大邱など南朝鮮の主要都市の真ん中に共和国旗が翻り、「平壌の風」、「以北の風」が南朝鮮中を覆っている」
と述べています。また、

「南朝鮮のマスコミは、米国の核策動と関連して、問題解決の根本的な鍵が平壌にあり、米国の戦争遂行能力を一瞬のうちに麻痺させられる軍事戦略と領軍術、高度な対米戦略を体現される敬愛なる将軍様がいらっしゃる限り、朝鮮半島でいついかなることが起きて驚かされるかわからないので、心の準備をしっかりとしておくこと」

と力説しています。また、資料は

「平壌で進められている各種行事に参加していた南朝鮮代表らは、我が国の代表と会った席で、南朝鮮はもちろん東アジアさらに世界を見ても金正日国防委員長のような立派な指導者はまたといない、金正日国防委員長がいらしてこそ6・15共同宣言があったのだ、いつも我が民族を見下していた米国のやつらが我が朝鮮民族を尊重する驚くべき現実が繰り広げられているなどと語った」
と主張しています。このような北朝鮮の主張がこれまでの嘘とは違ってそれなりに根拠があることは、次のようなサイトを見てみると容易に理解できます。
▲全国民衆連帯 ▲統一連帯 ▲韓総連 ▲民衆の声 ▲祖国統一汎民族連合 ▲本当の言葉で ▲南北共同実践連帯 ▲汎青学連

○金正日が統一大統領

 資料はさらにだめ押しで金正日を統一大統領に、平壌を統一祖国の首都という、話にもならない主張を展開しています。

「民心が偉大なる将軍様に傾き、学界では平壌が統一祖国の首都でなければならないという主張まで出ている」
というのがそれです。一方で
「歴史的な共同宣言の発表以降、敬愛する将軍様の偉大さに対する賞嘆の声と我が共和国に対する憧憬が高まり、南朝鮮社会では我々を手本にし、我々式の表現を使うことが非常に増えている」
としつつ、
「今や『金日成将軍の歌』、『金正日将軍の歌』をはじめとする我々の不滅の革命頌歌と革命歌謡が公の行事で次々と登場するほどだ」
と主張します。

○やはり美女応援団は対南宣伝の先兵

「昨年、我が国の応援団が釜山のアジア大会に登場し、南朝鮮の地に旋風を巻き起こした時も、南朝鮮の人々は父なる首領様が大徳山哨所で使われた『一当百(訳注・一騎当千の意)』という表現をそのまま引いて、『金正日国防委員長が送った一当百の乙女軍団』、『一当百の選手たち』とおおっぴらに言い、北と南の応援団が『渾然一体』となったとまで語った」

という北朝鮮の主張は、やはり美女応援団を対南宣伝の先兵として活用したことを証明しています。続けて資料は、
「最近、南朝鮮では反米運動が大衆運動として広まると『我が国民が一心団結した』、『反米自主』などの言葉が現れ、社会では『強盛大国』、『統一の花』、『勝利の隊伍』という我々式の表現が広く使われている。これと関連して、南朝鮮傀儡当局は『南北対話以降、用語使用において北側の語彙を使うことが増えた』、『北の文化がなんの拒否感もなく伝播している』と悲鳴を上げている」」
と記しています。

○反北と親北の力量関係評価

「次に南朝鮮では、反共保守勢力に比べ、連共勢力が力量としては優勢をしめており、『我が民族同士で』という大命題の下、南朝鮮の人民の民族自主意識、反米自主意識が急激に高まっている」

と書いたこの資料は、急増する親北勢力の蠢動に対して私たちが警戒心を高めなければならないことを示唆しています。

「共同宣言以降(中略)自分を反共保守だと言っていた人々は80%、進歩派だとした人は20%未満だった。それに対し我々の思想に共感し同調した勢力は地下の少数に過ぎなかった。しかし今は逆転した。社会の主流だと言っていた反共保守勢力が追いやられ、弾圧され息を潜めていなければならなかった進歩的運動勢力が翼を広げ主流となった。傀儡大統領選挙で極右保守勢力であるハンナラ党の候補が敗れ、進歩的勢力の指示を受けた候補が当選するという劇的な結果になったのもこれと関連している。保守勢力はさらに社会の隅にやられ、民主化運動の先頭に立って当局の弾圧を受けていた運動家出身者が権力を握った。また80年代の学生運動勢力である『三八六世代』が、社会の中枢はもちろん青瓦台にまで進出するなど、かつては想像もできないことが繰り広げられている」

 北朝鮮の主張が完全なでっち上げではないという考えを打ち消すことはできません。

○南朝鮮に朝鮮労働党政権が登場する

 今、朝鮮労働党の対南戦略は驕慢の限界を越えたものであることも文書からわかります。

「保守勢力の中には、この先10年、南朝鮮に『朝鮮労働党政権』が登場するかも知れないという声が上がっている。南朝鮮では歴代のファッショ当局が我々と関連付けて数多くの愛国者を虐殺、処刑してきたもろもろの『事件』が今年に入って弾圧事件として再究明され、むしろ事件をでっち上げた者たちを処罰した。これら全ての変化は、偉大なる将軍様が歴史的な共同宣言を出され、南朝鮮で進歩勢力の活動空間を広げて下さり、ごく少数の反共保守分子を徹底的に孤立させた結果」

であると、この資料は書いています。続けて、

「共同宣言に明記された『我が民族同士で』という大命題はやはり南朝鮮人民の中に民族自主意識を高めることに大きく作用した」
「南朝鮮人民は、我々が強力な軍事的抑止力を持ったということについて、『爆弾宣言』、『とどめの一撃』、『それこそ米国に衝撃と恐怖』と言いつつ、我々が米国に打撃を加えたことについて驚嘆を禁じ得ない」
と書いています。

○韓国内の反米を助長し、反米指示を下している労働党

 現実を増幅、歪曲しながら韓国内の反米感情を助長し、親北勢力に次の指令まで下達してい労働党でなければ次のような話をできるでしょうか。

「最近、南朝鮮の各界各層を対象にした世論調査によれば、回答者の82%が北の立場を考慮して核問題に対応しなければならないとした。そして大部分の人が、もし米国が朝鮮半島で戦争を起こしたら、南朝鮮『政府』が米国側に立つのではなく、北側について米国と戦わなければならないと示した。また南朝鮮ではブッシュの『悪の枢軸』発言を糾弾する反米闘争から始まり、米軍装甲車による女子学生殺人事件に対するろうそくデモなど、常に反米闘争が進められている。このような反米闘争はイラク戦争に反対する反米反戦闘争として盛り上がり、女子学生追悼ろうそくデモは今も南朝鮮のあちこちで展開されている。反米闘争の中で、ソウルの飲食店に『米軍おことわり』という張り紙が貼られ、米軍兵士が真っ昼間に道で殴られ、米軍基地が襲撃されるなど、かつて米軍にとって『天国のようなところ』だった南朝鮮が、今や『最も行きたくない所』に変わった。女子学生殺人事件について、南朝鮮駐屯米軍司令官、南朝鮮駐在米国大使、米国務長官、米大統領らが、うわべだけとは言ってもいちいち謝罪したことは、これまで想像もつかなかったことだ」

というのがそれです。締めくくりの部分でこの資料は、

「このように共同宣言以降、南朝鮮人民の反米自主意識、民族意識は以前とは比べものにならないほど高くなっている。以上の事実は。共同宣言こそが、南朝鮮において、民族和解と団結、祖国統一という大勢に誰も逆らえないほど大きな変化を内包した民族統一の宝刀であることを雄弁に物語ってくれる。全てのイルクンは、歴史的な6・15共同宣言を準備して下さり、祖国統一の転換的局面を開いて下さった敬愛なる将軍様の偉大さをよく理解し、将軍様の先軍領導を受け、祖国統一の歴史的偉業を成し遂げる闘争において、自己の全戦力と知恵を捧げなければならない」

と述べています。
 今後朝鮮労働党の指示がどのような者たちによって貫徹されていくのか、注目していかなければなりません。


2005.7.13
■大韓民国崩壊の危機

★ 韓国は国家権力よりスパイの言うことを信じるようになった。
 1997年、金大中政権の時、許イネという国民会議(党首:金大中)所属の政治活動家であった人物は1995年、韓国に派遣された北朝鮮の対南工作員金ドンシクと会ったと安企部に発表され、それを「でっち上げ」だと強弁して、逆に安企部をうそつきだと責め立てたことがある。当時、韓国のマスコミの記者も安企部の言葉は聞きもせず、許イネの言うことだけを書いた。
 遂に韓国では世の中がひっくり返って、スパイの協力者、同調者が「真実」を語り、国の公権力が嘘をつくという笑えない事が起こっている。
 スパイと会ったこともないと強弁していた許イネは「不告知罪」を違憲の可能性があるとして憲法裁判所に違憲裁定申請を提出した。スパイと会っていない人間がどうして違憲申請を出すのか。
 自分の親兄弟が暮らしている平和な国にスパイが入ってきて、その平和が脅かされてもスパイ申告をしないという発想はとても理解できない。理性的な思考とはいえない。だからといって、棍棒を振り上げることもできないのが現実だ。「日陰で日向を追いかける」という矜持でやってきた韓国情報機関の対共捜査官が意欲を失ってから久しい。
 国の前途を憂える愛国人士のため息があちこちから聞こえている。はなはだしくはスパイを捕まえなくてはならないのか、申告しなくてはならないのかという質問まで飛び出している。

★ 1960年、4・19学生革命に火をつけた地下工作員
(訳註:1960年4月19日に大規模な学生暴動が発生し李承晩政権が倒れる契機となった。文中、4・19と出てくる)
 しかし、もう少し時間が立てば、このような質問も出なくなるかもしれない。 いまや北朝鮮の対南赤化工作事業は成功裏に実を結んでいる。彼らにとって南のいかなる勢力もこれ以上赤化統一の障害物ではない。私たちが今でも彼らと闘ってこの国を守らねばならないと考えるなら、我が国の近代史の出来事に出てきた彼らの真の姿をよく知らねばならない。

 朝鮮戦争で武力赤化統一を試みて失敗した金日成は、韓国に配置されていた地下工作員を全て交替させた。1959年当時、新しく配置された工作員は千名であり、彼らは各種の情報の収集と同調者の包摂、北朝鮮の統一革命理論の伝播などで革命力量を育てていた。その中に李ソクという地下工作員がいた。
 彼は1946年10月大邱暴動のとき、南朝鮮労働党慶尚北道党の幹部であり、朝鮮戦争の時に越北したが、1955年4月に南派された。
 その後彼は馬山にアジトを置き、棺輿の担ぎ夫、荷運びの人夫を相手に親睦をはかる契(訳注:講のようなもの)を通じて意識化、組織化を進めていた1960年3月15日、大統領選挙にからむ不正を糾弾するデモが起こると、素早く契の仲間を民主党馬山支部の前に終結させ、事態を激化、暴発させる先頭に立った。
 1972年、保安司令部によって検挙された時、李ソクは4・19革命の導火線に火をつけたのは自分だと言ったそうだ。そして当時大学では「新進会」、「シンジョ(新潮?)会」「協調会」「農村社会研究会」「マグマグループ」などの理念サークルが社会主義の理念を取り入れていた。
 特に、左翼組織として代表的な「新進会」は1957年12月14日ソウル大学文理学部の学生同人誌「我々の構想」に載った文理学部2年の柳という人物の論文「無産大衆のための体制への志向」が国家保安法違反で問題となり、彼が拘束されたことで外部に知られるところとなった。
 柳以外にも李スジョン、李ヨンイル、李ギテクらは4・19の代表的人物と数えられている。「新進会」は4・19闘争で地下指導部として機能し、革新系運動の流れの中で「民族統一学生連盟」を組織し、左傾的な南北学生運動を展開することに主導的役割を果たした。
 このように北朝鮮は解放と共に韓国の赤化の夢を捨てず、粘り強く思想と組織を準備してきている。ここに韓国の大学、労働界が彼らの前衛部隊の役割を忠実に遂行するのである。

★ 大学と労働界が北朝鮮の前衛部隊
 1960年3月15日、韓国での不正選挙をきっかけとする学生運動の火が連日消えないのを見て、北朝鮮の3号庁舎指導部ではその火の手の方向について情報収集と分析によって緊張感が高まった。
 1960年4月15日、平壌の南山裏手にある労働党3号庁舎では、金日成をはじめとする対南専門部署専門化たちが集まり2回、対南情勢に対する公討論会を開いた。論争の焦点は、韓国で急速に展開されている学生の反政府闘争の革命的な性格と展望にあった。
 当時、対南連絡部長・呉ユンガプは2時間かけて「南朝鮮学生運動はあくまでも性格上プチブルジョア運動であり、李承晩のファッショ弾圧によって政権打倒までは難しい。革命の主体勢力である労働者、農民が加わらないため、この闘争は成功しない」という主旨で報告した。
 また、当時文化部長(後に作戦部長兼3号庁舎担当秘書)金ジュンインは補充報告を通じ「植民地国家での革命的インテリ学生の役割は非常に大きい」として、学生のデモに関心を持たねばならないという彼の経験的説明を加えた。
 4月17日、3月28日から始まった情勢討論を決算しつつ、連絡部長呉ユンガプは「革命的で先進的な労働階級の進出なく、学生闘争だけでアメリカの庇護を受けている李承晩政権を崩壊させられるとする見解は階級的な限界を持った学生闘争に対する過大評価だ」と、学生たちの反政府闘争を過小評価する「錯誤」を犯した。4月26日、南朝鮮の李承晩政権が崩壊すると、北朝鮮では大騒ぎになった。4月26日、労働党政治委員会が再招集され、この席で呉ユンガプは金日成から批判された。金日成は「2回もチャンスを逃した」と痛嘆した。
 
★ 革命基本勢力と打倒対象の分離
 そして彼らはその席で学生が決起すれば米国も仕方ないことだと確認し、対南工作指導機構の改編を通じて対南工作を本格化させることを決めた。
 このように韓国の4・19は北朝鮮の対南工作の方向をはっきりと定める契機となり、60年代は北朝鮮の対南工作が最も活発に展開された時期だった。それと共に、韓国では4・19を契機にさまざまな左翼勢力の組織結成が活性化され、本格的な理念戦争に入って行く始点となった。
 4・19以降、北朝鮮の3号庁舎は対南工作を本格化する作業に入った。まず、韓国に浸透させた工作員を選抜する問題であった。工作員の基本条件は韓国での縁故関係、工作実行能力、思想性などである。もっとも、のちにはこれが対南革命の弱点と結論づけられるのだが。
 1960年5月から7月の間、数百名の工作員候補が3号庁舎に集められたが、彼らこそが1960年代の対南工作を遂行する主人公であった。
 その中の一人、全羅南道羅州出身の女性工作員羅キョンエは、1960年9月末頃、西海浸透ルートで忠清南道唐津海岸に浸透し、故郷である羅州に潜入した。彼女は家族と接線し、その庇護の下、親族1名を帯同し11月初め復帰した。
 そして帯同越北した親族は1か月間教育を受け、韓国に再浸透し、工作活動をしたが逮捕された。
 このように4・19後、羅キョンエのほか、李スッキョン、金ナムシクらは逮捕されたが、保寧(忠清南道)出身の李キリョン、江陵(江原道)のチョンウンゴ、済州島の金ヨンイクらは復帰して北朝鮮文化部と調査部の指導員に抜擢されたという。
 このように北朝鮮は4・19後、地下組織を急速に拡大するために、数多くの縁故関係のある工作員を南派し、韓国内工作員の親族は彼らに従って越北、密封教育を受け、再浸透する工作が円滑に展開された。
 ところで、韓国では4・19革命で李承晩政権が崩壊して13か月、張勉政権になって10か月後、5・16軍事革命(訳註:陸軍少将朴正煕が率いた軍事クーデター)で新しく軍事政権が出現すると、北朝鮮労働党指導層は再び驚き当惑した。
 彼らは米軍が全てを掌握、統制している韓国軍内部から独自に軍事クーデターのような変革的行動は全く不可能で、米軍の操縦下でのみ可能だと固定観念を持っていた。

★ 不変の先・対南革命、後・統一実現
 5・16は彼らの固定観念をひっくり返し、新しいことを体得させた。その中でも最も基本的なことは、たとえ革命思想理論で武装したり意識化されなかったとしても、民主的意識、社会正義意識で武装した青年学生の主体的闘争でひとつの既成政権を倒し、新しい政権を作り出すことができるという事実と、軍部では米軍の統制にも拘わらず、正義感と愛国心で覚醒された進歩的、変革的な中堅の将校集団を主軸としても新しい政権を出帆させることができるという事実である。
 これはすなわち韓国社会内部に確固と準備された政治勢力さえ醸成されていれば、その政治勢力が主体となり、独自の革命を組織し、成功できるということを教えてくれたと評価した。
 そして対南戦略の方針もまず韓国で革命を遂行し、それに基づいて南北統一を実現させようといういわゆる「先・対南革命、後・南北統一実現」へ修正した。この対南革命で基本動力は労働者、農民、知識人、青年学生、都市小市民、中小商工業者、愛国的軍人、民族資本家などであり、打倒対象は帝国主義侵略支配勢力とそれと結託した買弁隷属資本家、地主、反動官僚、親日、親米勢力と規定した。
 したがって1965年の韓日基本条約の推進はそのような対南革命を具現するよい契機となった。
 当時、韓国で対日屈辱外交反対闘争として表出した勢力が対南革命に利用されたことはもちろんである。ソウル大学内で故・黄ソンモ教授らを主軸とした民族比較研究会(民比研)傘下の朴ボムジンらはその主流であった。
 この他に、金学俊(現・東亜日報社長)、玄スンイル、金トンニョン(前・金泳三秘書、国会議員)ら6・3世代がその後続部隊だと言える。
 上述のような革命工作の基本指針は60年代と70年代を通じて、韓国内の合法的な政党進出の模索や、朝鮮総連を通じた迂回工作など、各種の対南赤化工作に現れている。
 そして、韓国は1979年10月26日、朴大統領の逝去によって再び大きな政治的危機に直面した。さまざまのデモが頻発し、無秩序状態に陥り、遂に戒厳令が宣布されるなど一連の事件は北朝鮮の対南工作にひとつの好機となった。
 1980年5月18日、光州事件が発生すると、北朝鮮の指導部は4・19と5・16の時と同様に緊急会議を開き、呉振宇を司令官とする前線司令部を構成し、海州に10万の特殊部隊を待機させ、韓国で北の工作員が苛烈な闘争を展開し、光州を解放区として接収した後、ソウルを目指して闘争の炎を広げるようにと画策した。
 当時3号庁舎でも、統一戦線部所属で光州に派遣するゲリラの準備をしていた。しかし、光州の事態はわずか10日で完全に鎮圧されてしまった。金日成とその一味はまた好機を逸した。

★ 5・18当時、「前線司令部」構成、戦争態勢
 5・18に関する謎の一つは、事件直後、日本のマスコミと教会関係に広く広まった「引き裂かれた旗〜目撃者の証言」という小冊子である。これは現地からキリスト教ルートを通じて日本に送られた光州事件の報告書であるが、筆者も発行所も匿名である。
 その内容は特戦司(訳注:空挺部隊)隊員が銃剣で妊婦の腹を切り裂いて胎児を取り出しその母親に投げつけた。あるいは女子大生3人を裸にして銃剣で背中を突き、胸を十字に切り裂いて清掃車に投げ込んだ。道庁前広場で475の死体が見せ物になっていた、などなどむごたらしいものだった。
 成均館大学の故・李命英教授はこの冊子の制作について「何者かが事態の悪化を狙って流言飛語を広め、それを『引き裂かれた旗』によって拡大再生産し、海外に流布することで世界に反韓感情を起こそうとしたことは明白」と延べている。
 李教授は「南朝鮮革命を狙う勢力としか考えられない」として、これを韓国の「統一革命党」の仕業と見ていた。
 もう一つの謎は、光州事件の指名手配者であった尹ハンボン(45)という人物に関することだ。
 尹は全南大学農学部在学中の1974年、民青学連事件(訳註:学生組織が主要大学でビラを撒いたことに端を発し、拘束者253名が非常軍法会議にかけられた)の時、全南の副責任者であり、光州事件の時は「学生騒擾の総責任者」と目され、内乱罪容疑で手配中だった1981年4月、馬山港から貨物船で米国へ密航し米国内で反韓活動を続けた。尹は徐敬元、文ギュヒョンの密入北を周旋するなど対北コネクションを持っている人物であった。このような人物が数年前には政治的斡旋によって大手を振って光州に入り、「5・18特別法政局」を主導した。(訳註:5・18特別立法とは1995年に成立した「憲法秩序破壊犯罪の公訴時効などに関する特例法」と「5・18民主化運動などに関する特別法」をいう。これによって全斗煥元大統領と盧泰愚元大統領は光州事件の責任者として裁かれることになる)
 第三の謎はこうである。1980年5月27日早朝、全南道庁2階会議室で最後の抗戦に備え、戦いで亡くなった市民軍のスポークスマン、尹サンウォンは、全南大政治外交科在学時代、学生運動を通して理念的洗礼を受け、1978年卒業後、ソウルにある住宅銀行に入行し、その6か月後に辞めて、光州へ行きクアンチョン工業団地の労働者に偽装就業したという。そこで、同じ大学の休学生朴キスンが運営する「夜学」に加わり、階級運動家として力をつけた。
 李命英教授は尹について、「卓越した宣伝扇動の企画者であり実践者である。彼が死ななければ統一革命党の実態についての糸口を探れたかも知れない」と惜しんでいる。
 第四の謎は、光州事件当時、戒厳軍が光州飛行場近くで一人の市民軍兵士を逮捕したが、左腕に「ウォルサン第2洞指導員同務」と書かれた腕章をしていたことだ。この言葉はその当時ばかりでなく、今も韓国社会では使わないものだが、彼らは堂々とそんな腕章をはめて歩き回り、まるで自分たちの世の中がきたかのように振る舞っていた。

★ 「4・19人民蜂起」と「5・18記念式典」
 このように4・19と5・18の裏側に、北朝鮮の見えない工作があったことを看過することはできない。
 北朝鮮は4・19を「4・19人民蜂起」と改称、これを反米救国闘争と規定した後、毎年「平壌市記念報告会」を開催する一方で、5・18についても毎年記念式典を開いている。
 数年前、韓国の朝鮮日報は成恵琳亡命事件をスクープした。当時、ほとんどの北朝鮮専門家をはじめ一般市民の北朝鮮の食糧危機と地位の高い人物が次々亡命することを根拠に北朝鮮の崩壊が秒読みに入ったと考えていた。
 かつて韓国では金日成さえ死ねば、北朝鮮が崩壊し統一されると夢のような考え方をしてきた。

★ 北朝鮮より韓国が先に崩壊か?
 ところが北朝鮮は崩壊せず、金日成の息子金正日が権力を継承し、むしろ南朝鮮赤化統一のための戦略戦術では一分の狂いもなく、対南赤化事業を忠実に行っている。そればかりか金日成に続いて金正日の対南赤化統一の野心は絶対に変わらない。
 今韓国では一連の北朝鮮で起きた事件の煙幕の中で、韓国内部の組織が瓦解してきているという声は聞こえない。
 金正日の妻であった成恵琳は「ソウルにスパイが2万くらいいる」と語った。もちろん成恵琳の発言の前にも韓国の安全専門家は、少なくても4万以上の対南工作員がソウル市内を動き回っていると判断していた。
 北朝鮮で高級情報に接することのできる身分だった成恵琳の言葉を信じれば、2万のスパイが韓国社会の要所要所に浸透し、北朝鮮の指令に従って大韓民国崩壊の夢を着実に育てていると考えられる。
 1988年8月下旬、盧泰愚大統領は若手学者10名ほどを青瓦台に招き、「日本にある朝鮮総連が80年代以降最近まで、毎年年平均2400億ウォンという莫大な資金を韓国に送っています。そのカネの大部分が大学の運動圏の支援金に使われています。最近まで約2兆ウォンの工作金が朝鮮総連から我が国に入っています。この資金が現在国内で幾筋かで使われていますが、最も憂えるべきは優秀な学生を集中的に訓練してマスコミに浸透させることです。80年から現在まで約800人が浸透しているといいます。毎年平均100名づつ金日成の主体思想を信奉する若者たちがマスコミ各社に浸透していることになります。」と、オリンピックが終わり次第、左翼を一網打尽にすると延べた。
 しかし、盧大統領は国家の安保に致命的な打撃を与えるこれら左翼勢力についてなんの措置も取らず、後退してむしろ彼らの逆工作(?)に巻き込まれ、刑務所に入るという悲劇的な羽目に陥った。
 韓国の現時点を基準にして数値を逆算してみると、韓国マスコミに浸透した左翼分子は1600名以上になると推測できる。韓国のマスコミを完全に掌握したわけだ。
 盧泰愚大統領と成恵琳の発言に表れた左翼分子やスパイはどこに隠れどのように行動しているのか。我々はこのような疑問点を金日成から直接確認出来る。

★ 技術工作を越えて、国家機関浸透に成功
 1989年の新年辞で金日成は、「今日、南朝鮮では祖国統一のための闘争が少数の運動ではなく多数の運動へ転化しており、一部の階層に限定された運動ではなく、各階層を網羅した大衆運動に拡大している。これは南朝鮮で統一運動が新しく発展段階に入り、南朝鮮情勢に重大な変化が起きていること語っている」と述べた。
 金日成のこの自信に満ちた新年辞は彼を敬慕し追従する分子たちが「南朝鮮各界各層」に安全に場を確保していることを物語る。
 韓国の前・対共捜査官H氏は「第五共和国以後、北朝鮮の対南工作戦略は少数のスパイを南派し、情報を探知するいわば『技術工作』段階を越え、国家安保政策の方向をねじ曲げる工作、軍・警察・安企部・機務司(訳注:軍の情報機関)など安保担当機関を崩壊させる工作、教育政策を赤化し国家の機関を崩壊させる工作など巨大な規模で組織された力で政府に圧力を加える『力の工作』段階へ入っている」と語った。 
 いまや韓国は音をたてて自壊が進行している。
 大韓民国の崩壊のために命を捧げて闘争する敵は多くても、自分の生命を捧げて大韓民国を守ろうとする人は見当たらない。韓国の対共機能も信じるに足りるものではない。
 その理由は、既に敵が国会をはじめ権力の心臓部まで浸透し、対共機能の無力化作業を終えているからだ。
 では現在の盧武鉉政権はどうだろうか。おそらくは次の段階に進んでいると言えるだろう。少なくともそれ以下ではないはずだ。(訳・荒木信子)


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